「NGS現場の会 第五回研究会」にて患者からの視点で展示させていただくことになりました。


少し長くなります。

2015年の第四回研究会の開催中、
「もうこの仕事終わっちゃうんだな……」と、感傷的な気持ちになっていたところ、
第五回の大会長に決まったという荻島さんより、
「この会がどういう感じかわかっているほうが、たぶん良いので」とお声がけしていただき、
まだ確定ではなかったのですが「引き続きお仕事できるんだ!」と、嬉しくなりました。

2016年になり、いよいよ第五回のミーティングも水面下で動き出した頃、
1月から始まっていた右胸の痛みが激痛へと変化し、
年度末の忙しさを抜けた3月末、
やっと検査を受けたところ ”乳がん” であることがわかりました。

このことをどのタイミングでお伝えするべきか……。
すでに6月になり他の方を探していただくとしても、あと一年しかない。
ここがデッドかもしれないと。
「荻島さんに大切なことをお話しなければなりません。
 実はわたし乳がんになってしまいまして、
 抗がん剤を半年、その後に全摘の手術をするので現場の会の作業が忙しい時期と重なってしまうと思うのです。
 第四回を担当してみて、
 第五回で考えてらっしゃる企画の内容を伺い、
 かなり重い仕事、考えなくてはいけない仕事だとも思っております。
 これから自分がどんな状態になるのか初めてのことでわからないので、
 ご迷惑はおかけしません……とも言えないのですが、
 このお仕事を担当させていただいても宜しいのでしょうか?
 難しい問題だと思うので、答えは今じゃなくてもよいのですが……」
と、お伝えしたところ、
「むしろお願いしたいです。
 ペースを考えて行きましょう!」と。
正直、ひとりで治療費を稼ぎつつ、治療しつつ、こんな大きい仕事ができるのかと不安でいっぱいでしたが、
荻島さんの言葉に本当に勇気づけられました。
追加される検査の結果や治療方針が決まったらお伝えし、
当初の治療方針から変更はありましたが、第五回研究会の全てのデザインが終了しました。

告知されてから、生きる意味を見出せなくなっていたこともあり、
「乳がん患者とそのパートナー向けに自分を素材として使った写真集を作ろうと思っている」と以前お話していたのですが、
生命医薬情報学連合大会の最終日、

打ち合わせがてらの帰り道に撮影部分のラフを荻島さんへお見せしたところ、
「アダチさん、個展開きません? 現場の会で。
 患者側からのセッションがあってもいいと思っていたくらいで、
 それがアートなら素晴らしいじゃないですか、考えてみてください」と。
写真集の個展を開くという発想はなかったですし、
荻島さんの研究されている分野をふと思い出し、患者さんたちに近いからこその発想なのかな……と。
このような機会をいただき本当に感謝しております。

実はこの一週間、展示するべきかずっと考えてました。

髪の毛がほとんど抜けてしまった写真を見ると凹みましたし、展示することに意味があるのか。

最先端の研究をされている方々の前で何を伝えたらいいのか考えれば考える程、わからなくなりました。
某先生にまだ悩んでいると相談したところ、
「治療でどういう状態になったかは、みなさん勉強すればわかると思う。
 でも、どう感じたかはその人じゃないとわからないことだから、そこを知りたいって思うんじゃないのかな」
という言葉に
「死にたい、死にたかったです」それしか出て来ませんでした。

ガンの告知からわたしの世界は色を失いました。
「MONOCHROME」
少しずつ色を取り戻すきっかけになればと思っています。

 

室長