東北6県の30の酒蔵が一堂に集まって行う東日本大震災被災地支援イベント
[TOHOKU Sake Forum 2011]に行ってきた。
12時~19時までと長丁場だったが、時間を感じさせないプログラムだった。
シンポジウムやトークセッションはどの部屋も立ち見が出ていた。
会場では各蔵の日本酒の試飲ができるので、プログラムに「本日飲める銘柄」という表記がある。
二件が「本日飲める銘柄:なし」。
この蔵元のトークセッションで、被災の映像に会場からすすり泣く声がしばらく続いた。
瓦礫の中に汚れたラベルをみつけた時の気持ちを思うと苦しかった。
果てしない瓦礫の荒野に並ぶ、緑色の酒瓶。
無事だったお酒をその蔵から買っていた常連たちが拾い上げたものだった。
船を清めるために、無事を祈るために、大漁を願うために、そして誰かが亡くなったときに……。
海の仕事を生業とし生活する人たちと、酒との関係性も伝わった。
どちらの蔵も創業が天保、明治と長く続いていた。
「今まで積み上げてきたものが全て無くなった。」
「自分の存在意義まで失った。」
「気分転換にと食事に出ても、他のテーブルでは笑顔の家族に対し、
無言で皿のカチカチする音だけが響く……。
笑顔を取り戻すためにもう一度、酒造りを始めよう」と。
復興支援で安い金利でお金を貸してくれるが、
蔵を再興するには一生働き続けても返し終わらないお金が必要だそうだ。
この瓦礫の街を支援策で「津波に強い街」「住める街」にしたとして、住もうと思う人がいるのか?
このままではゴーストタウンになるだろう……リアルな言葉だった。
酒にも酒蔵にも素材の持っている歴史がある。
内陸で津波の被害はなくても、地震の被害が大きく、崩れ傾いてしまった正徳2年から続く蔵も。
新しい蔵を建てた方が管理もし易く、無菌状態になりキレイなお酒ができる。
ただ、様々な菌が混じりあった雑味も蔵の個性だから残したいと。
具体的な修繕費の金額は未だ出ていないそうだ。
全国からボランティアの人たちが来てくれて、今の被災地の生活の為に働いてくれている。
次は国が本当の意味で、被災地のため働く時期ではないか。
生き残った人たちの意識は強い。
この人たちを納得させる提案ができていればいいのだが。
声を震わせながら語る蔵元の心、伝わっているのだろうか。
被災地の他の職業でも、同じだろう。
夢も希望も失った衝撃と、
諦めたくない気持ちとが混在した心で、
震災の日からずっと今と向き合い、見えない未来と戦っている。
しばらく涙が止まらなかった。
自分には何ができるだろうかと。